2017年 3月23日 三毳山

久しぶりに三毳山を歩いてきました。カタクリが見頃を迎えるという記事を読んだので、ボッカ訓練を兼ねて行ってきました。
カタクリは見頃にはまだ数日かかりそうですが、しっかりと花を見ることができました。花を見るには早めに限ります。カタクリの里は年配のハイカーで大賑わいでした。その仲間に入っている自分に気づいたとき少し寂しさを感じました。
一人旅です。

ルート数値
 距離 10.5Km 累積標高 +950m -950m 所要時間 5時間10分(休憩込)

行程
 南駐車場8:30 – 9:33中岳 – 10:15青竜ヶ岳10:20 – 10:35カタクリの里10:55 – 11:05カタクリ山11:25 – 11:45青竜ヶ岳 – 12:15西口ハーブ園12:20 – 13:17中岳 – 13:40南駐車場

ルート図(国土地理院 承認番号 平22業使、第453号)
黒色が今回歩いたコース

経過

今年は少しテント泊に挑戦しようと思っています。先日、八ヶ岳で18Kgのザックで苦労したので、少しボッカ訓練をしておこうと考えました。無雪期のテント泊ではどの位のザックを担ぐことになるのでしょうか。ひとまず14Kgぐらいかなといつもの40リットルのザックに6Kgのペットボトルを入れて見ました。出発前に計ると丁度14kgでした。
三毳山は往復すると8Kmぐらいですが、西に下りたり、東に下りたりしながら距離を追加できます。10Km以上歩くのを目標に歩き始めました。
南駐車場は8:30に開門という情報があったのでゆっくりと出発しました。8:20頃につきましたがすでに開門していました。まだ早いので駐車は数台です。

歩き始めるとすぐスミレが咲いていました。名前の詳細は不明。

三毳神社の下で「シュゼンジカンザクラ」が咲いていました。ピンクの強い色合いです。

ロウバイかと思いましたが、サンシュなのだそうです。

ここから神社への階段を上らずに西に回りました。「わんぱく広場」から「富士見台」に登りました。少し肩に重みが堪えてきました。
富士見台からの眺め。
南方向。霞んで遠くは見えません。

北方向。うっすらと、男体山・赤城が見えましたが、写真ではよく分かりません。諏訪岳が少し尖って見えます。

琴平神社。神社とは思えません。どうみても倉庫です。

中継広場から三毳神社へ向かいました。山行無事を祈願。

階段の桜はまだまだです。

ツツジが一輪咲いていました。ピンクがかった花です。山ツツジとは違うようです。

尾根を歩く人も少しいました。

中岳。いつ鉄塔ができたのでしょう。緊急連絡用のスピーカーの鉄塔のようです。

満開になっているツツジがありました。

青竜が岳が近づいてきました。

いい尾根道です。

ミヤマウグイスカグラが咲き始めていました。

三毳山では多くの松が枯れています。枯れた松は少しずつ伐採されていますが、まだまだ間に合わないようです。切り口を見ると、周辺の柔らかく腐敗の進んだ場所と、中心部のまだ堅さののこる場所がはっきりと区分けされています。堅い部分が少なくなると倒れてしまうようです。

青竜が岳への上りで見た満開のツツジ。満開になっているのは先ほどのものとこれの2株だけでした。

最後の上り。

山頂。

山頂からの眺め。佐野サービスエリアが眼下に見えます。正面は大小山。

山頂から少し下った場所に岩があって、その岩に挟まれて祠があります。

佐野市のカタクリの里に着きました。防御網が出来ていました。丈夫そうなものでした。

多くのハイカーが来ています。大部分は年配者です。一眼レフを持った人が多いですね。そうでなければスマホ。私のようにデジカメを使っているのはあまり見かけませんでした。



カタクリ。







カタクリ以外の花は少なかったです。
イチリンソウはまだまだです。

スミレ。

アズマイチゲは咲き始めていました。

カタクリの咲く谷から尾根に登りました。こちらの木階段は木がかなり朽ちています。

カタクリ山。三角点があります。ここで大休止。地元でガイドをしているというおじさんがやって来て、真田の「犬伏の別れ」の話をしてくれました。その「別れ」の場所ははっきりしていないとか。

帰りは、青竜ヶ岳を下ってから、西駐車場方面に下りました。

遊歩道は大きくくねりながら下りていきます。
ハーブ園につきました。閑散としています。レストランは営業しているようでしたが。

すこし、園内を散策。
サンシュだそうです。ロウバイと思っていました。

ボケ

モクレンかと思ったらコブシだそうです。

黄色い花。

舗装道を南に行こうとしたら、こんな標識が目に入りました。姥石というのがあるようです。寄ってみることにしました。

少し登るとありました。岩は複数あって、どの石が姥石なのか分かりません。祠の横のが姥石でしょうか。


姥石から上を見ると荒れ地の上に稜線が見えています。まっすぐに稜線に戻ることにしました。

税金はこんな事にも使われているようです。花が咲いたら、宴会場になるのでしょう。

この上の荒れ地は、三毳山の大文字焼きの場所でした。こんな石碑があったので知りました。
「三毳山大文字焼防火水槽設置記念碑」なのだそうです。

これが防火水槽のようです。記念碑の方が立派に見えました。

木炭が落ちていたので、この辺りで焼いたのでしょう。三毳山の大文字焼きについては帰宅後調べると8月下旬にやっているそうですね。いままで知りませんでした。

佐野の市街が見渡せます。もちろん、町から大の字がよく見える場所を、大文字焼きの場所にしたのでしょうが。

荒れ地を最上部まで進んでから、藪に入っていきました。数分で稜線の遊歩道にでました。三毳山で藪こぎをするとは思いませんでした。重い荷物を背負っての藪こぎは長時間は無理だろうと思います。

一気に駐車場まで戻りました。
最初は、ザックの重みで肩が痛かったのですが、途中からは感じなくなりました。少しは慣れたのかなと思います。次は、テント泊装備を14Kg内に納められるかどうかの検証が必要になります。

カテゴリー: 安蘇 パーマリンク

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