下野市の天平の丘から壬生町の車塚古墳まで周回してきました。
アップダウンは無いに等しいのですが、舗装道歩きは足裏にこたえます。古墳で切り株を踏み抜いてケガをするのがいやなのでそれなりに靴底のしっかりしたローカットのトレッキングシューズを履いていきましたが、大部分が舗装道歩きなのでクッションのある運動靴が足には良いのかもしれません。
ルート数値
距離 20.1Km 累積標高 +280m -280m 所要時間 6時間5分(休憩込)
行程
8:50天平の丘公園9:20 – 9:25国分寺跡9:40 – 9:55愛宕塚古墳10:00 – 10:22丸塚古墳10:27 – 10:47吾妻古墳11:20 – 12:08愛宕塚古墳12:16 – 12:28車塚・牛塚古墳12:48 – 14:30国分尼寺跡14:40 – 14:42天平の丘公園14:55
ルート図(国土地理院 承認番号 平22業使、第453号)
黒色が今回歩いたコース
経過
前回、思川沿いを歩き、琵琶塚古墳などは見たのですが、そこから川沿いに北上したので、国分寺跡には立ち寄りませんでした。今回は、国分寺跡から壬生の古墳までを周回することにしました。行政区画では下野市と壬生町ですから「小山探訪」とは言いずらいので「小山周辺探訪」に変更です。
天平の丘公園に車を置いて歩き始めました。平日の朝なのでまだ利用者はわずかです。
オトカ塚古墳です。帆立貝形前方後円墳だそうです。なぜか墳丘にはロープが張られていました。
公園の一番南に伝紫式部の墓がありました。勿論、「伝」で、鎌倉時代の五輪塔の様式なのだそうです。
池の周りでカメラを構えているおじさんたちがいました。池に張った氷の写真を撮っているのだそうです。
写真を見せてもらいましたが、不思議な色が写っていました。一眼レフでないとそんな写真は撮れないそうです。
私のデジカメで撮った写真。
そのてっぺんには「銭成石」という岩がおいてあります。筑波石なんだそうです。石よりもサルスベリの木が見事です。「下の石畳で手を打つと鳴き竜がします」と書いてありますが、私には手を打つ音しか聞こえませんでした。銭には縁がないようです。
大釜があります。3000人分の芋煮が作れるそうですが、何の由来があるのでしょう。
国分寺跡にきました。国分寺が作られた場所は「水害の憂いなく長久安穏の処」なのだそうです。たしかにこの地は思川東の段丘上なので水害には強そうです。
建物跡に向かう途中に、左手に古墳がありました。甲塚古墳です。
古墳内は整備されていませんが登れました。墳丘は大きく掘られていました。墳丘の周りにはこんな杭がありました。矢印は古墳の方向を向いています。
国分寺跡。基礎部分はセメントでかためられて、柱があった場所にはきれいにカットされた大谷石が置かれています。もう少し工夫した開示は出来ないのでしょうかね。
愛宕塚古墳は前方後円墳です。くびれ部に愛宕神社が祀られています。前方部から見た写真。
その古墳の東には山王塚古墳がありますが、墳丘に向かうには南側の農家の脇を通らせていただくしかありません。
車道に戻って、北に進みました。前方にサイロのような円柱形の構築物が見えてきますが、それは国分寺第2配水場でした。
工場の境の道を東南東に進みました。
道は切れてしまいました。たいした藪ではなさそうなので突入します。
途中、畑造作している場所があって進めなくなりました。工場のフェンス脇を通って北に進むとまた道がでてきました。
周濠内側の基壇部分を1周するのに約5分かかりました。
後円部から前方部を見ました。
前方部でゆっくりと腹ごしらえ。
正式の入口付近からみるとこんな感じ。私は右奥から古墳に入ってきたことになります。
吾妻古墳の北側は工業団地になっています。この辺りは、栃木市、下野市、壬生町が入り組んでいて、工業団地も栃木市大光寺工業団地があり、それと隣り合って壬生町側にも工場がたくさんあります。初めて通る道です。
東武鉄道の鉄橋とその右奥に男体山。中央の黒く見えるのは半月山なのでその奥に見えるはずの白根山は雲に隠れています。その左の白く見える尾根は白錫尾根でしょう。
東雲公園脇を通過して、国道352号線を渡って、壬生の愛宕塚古墳にやってきました。
そこから変電所を経由して、車塚へ向かいましたが、愛宕塚から直接西の道にでて北上した方が早かったようです。
車塚に着きました。調査跡なのでしょうか、ブルーシートが残っています。
20年以上前に来たときは石室内に入れたような気がするのですが、今回は立ち入り禁止になっていました。
石室内にはなぜか土嚢が敷き詰められていました。
牛塚古墳は車塚のすぐ西側にあります。帆立貝形の前方後円墳です。
これで今回の探訪予定の一番北にやってきました。ここで折り返します。
黒川に架かる橋を渡っているとき、先日近くを歩いた天狗岩がみえました。
雄琴神社の北側に勢いよく水が噴き出している場所がありました。夏には蛍も見られるとか。
「雄琴」というと有名な雄琴温泉がありますが、関係はないのでしょうね。絶対に。
何の霊験あらたかなのでしょうか。
また堤防に戻って南に進みました。堤防が狭くなっています。一瞬、コンクリの上を歩くのかと案じましたがその内側を歩くことができました。
御成橋を渡って工業団地に入りました。畑の中の道を南進して、国分尼寺跡に到着。
有名な薄墨桜です。何度か花を見ましたが、個人的にはあまりきれいな桜とは思えません。珍しい桜なのでしょうが。
天平の丘に戻ってきました。埋蔵文化財センターで展示を見学。外には紅梅が咲いていました。
約6時間の歩きが終了。舗装道歩きが多いので足裏が痛くなっていました。
次回は、渡良瀬遊水地方向に歩きたいと思います。