日頃、山にばかり行って、住んでいる地域の地理にあまり詳しくありません。地元を歩いてみるかということになり、まず、思川沿いを観晃橋から大光寺橋を周回しました。
できるだけ川沿いを歩こうとしたのですが、道がなくなって折り返したり工事中で迂回したりとすんなりとは歩かせてもらえませんでした。
天気は晴れていたのですが、山は霞んでいてはっきりとはみえませんでした。それでも、久しぶりに古墳を訪れることが出来たし、初めて下野国庁跡を見ることもできて、なおかつ平地とはいえ28Kmを歩くこともできて、楽しい一日でした。距離だけなら今までで最長距離を歩いたことになります。
それにしても、住んでいる市内にも知らない道がたくさんあるものです。すこしづつ探訪していきたいと思います。
ルート数値
距離 28.5Km 累積標高 +410m -410m 所要時間 7時間40分(休憩込)
行程
市役所P 8:40 – 9:20天翁院 – 9:45小山中学 – 10:35ゴルフ場前 – 11:45姿川橋 – 12:15摩利支天塚前 – 12:35台林寺 – 13:20大光寺橋 – 13:45下野国庁跡14:10 – 15:40両毛線下 – 16:20市役所P
こんな人物像がありました。安普請に見えます。小山市公認のキャラクターは「おやまくま」かと思っていたのですがこの像の主を題材にした「正光くん、寒川尼ちゃん」なのだそうです。私はおやまくまの方が好きです。
観晃橋。男体山、白根山が写真ではぼんやりとしか見えていませんが、実際はもっとはっきりとみえました。
濠。結構深さがあります。この城は思川左岸の段丘上に作られています。
河原から登れる場所を探して進みましたが、道はありません。旧市民病院の下で折り返しました。
落語などでよく聞く言葉なのですが、私は最近まで、「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」を「君主山門に入るを許さず」だと思っていました。権力への意気込みを語る言葉と思っていたのですが、数か月前にその文字を見ることがあって、やっと本当の意味を知りました。
するとすぐ、東に曲がってこんな状態に。無理やり進むと最後に藪漕ぎ1分ですぐ上の舗装道路にでました。
この道を北に進みましたが、すぐ直進は行き止まりになって、左手は民家に入っていきます。犬に吠えられて折り返しです。
結局、4号線に出て、北にすすみます。ハーベストウォークの前を通過。
すると、アパートで行き止まりなのですが、その脇を北に入れました。なんとゴルフ場にでてしまいました。
藪を濃いで右に進めそうでしたが、折り返すことにしました。また4号線にでて進むと左に祠があります。
先ほどの藪を漕げばこの祠にでられたようです。祠の先に立派な神社がありました。日枝神社です。
その神社の右奥に「男體山」と彫られた大きな石碑がありました。
由来の説明がありましたが、よくわかりません。天保年間に歌が浜という力士がこの碑を建てたが「ここより日光行を恐れた」人たちに倒されてしまったのをここに移転したらしいです。なぜ「恐れた」のかがわかりませんが、日光は江戸時代は神聖な場所だったので、余計な誤解を恐れたのかもしれません。
ゴルフ場北側に古墳があります。このゴルフ場はたくさんの古墳を壊して作られています。
ゴルフ場の北側を西に入ると思川堤防にでます。釣り堀があります。「へらぶな」らしいです。
休憩後、少し戻って、思川桜の誕生地と言われる修道院前を北に進みます。
なお、直進すると、社会福祉施設脇を過ぎて、貸家の並びにでます。さらに進むと行き止まりになってしまいました。
そこは直進しました。数分の藪漕ぎで畑にでました。その先の道を川へ向かいます。
思川と姿側の合流地点にでました。姿側沿いは遊歩道になっているようでそこを北に進みました。
途中、工事中で通行できなくなったので扶桑水処理センターの脇からまた車道にでます。
対岸を見ると、ローム層が浸食を受けていました。ローム層は浸食を受けやすいのでしょうか、それとも護岸工事でそうなってしまったのでしょうか。むりやり川の流れを変えてしまったのかもしれません。
堤防からは、日光の山々がきれいに見えました。女峰、小真名、大真名、太郎、男体、白根、皇海。
古墳が見えてきました。左の森が摩利支天塚古墳、右が琵琶塚古墳です。
後円部からおりて、琵琶塚へ向かいました。琵琶塚は調査中らしいですが、だれもいませんでした。
後円部に祠がありますが、調査中で近寄れません。引き返します。
前方部から摩利支天塚がみえます。私は学生時代に考古学に夢中になったことがあります。その頃にここに来たことがあるのですが、その時は藪だったような記憶があります。今は暇になったのだからいくらでも打ち込めるのですが、専門書や文献を読む気力が続きません。ただ、多少は古代に思いを馳せることはできるでしょうが。
通常の遺跡巡りならここから国分寺跡へ向かうのでしょうが、今回はできるだけ思川沿いを歩こうという趣旨なので西に向かいました。
台林寺です。きれいな寺です。墓地を分譲していました。私の檀家寺はまれにみる汚い寺なのでこちらに変更したくなります。
天満宮から北の細い道に出て川へ向かうと、堤防に下りることができました。そのまた下に工事用の道が続いていました。
北に進むとその道は堤防になって続いていました。ここにも釣り堀があります。
橋を渡ってから、進行方向を南に変えます。
思川でも左岸にローム層の浸食を見ました。面白そうな地形です。あとで見に来ようかと思います。
ここからはまた思川沿いに戻って南に急ぎます。
予定より1時間ほど遅れていますが、最後まで歩くことにしました。途中ギブアップするようなことがあったら妻に迎えに来てもらうことにしていましたので、最後まで歩くこと、少し遅れることを電話連絡しました。その後、ゆっくりと休憩。
堤防は続いていないので。所々で切れます。切れると、右から新しい堤防がでてきます。
前方で堤防が切れそうなので舗装道に誘導されて東に進むと、橋に続いていました。橋を渡って左岸を歩いた方が早いでしょうが、ここも折り返すことにしました。
堤防は切れてしまいますが、太陽光発電所の脇を通らせてもらって先の堤防に登ることができました。
いつのまにか自転車道になりました。
その自転車道もいつの間にかきれて、再度北西から延びてきた堤防に登りました。
島田橋の西を横断してしばらく南進すると右に野球場がありました。白鴎大学の野球場のようです。
堤防上の道でいくつかこんな「地点標」をみました。何に使うのでしょう。
また釣り堀がありました。本日3か所目ですが、ここにはお客はいないようでした。まもなく観晃橋です。
やっと、駐車場横に戻ってきました。堤防から見ると太平山は見えましたが、日光の山はみえませんでした。
無事、駐車場まで歩き通せました。